「報酬という概念は幻想である」
2025年3月初めごろのことです。
提供するイヤーコーニングの料金について、
自分の技量や相場などから、どのように設定したらよいのか分からず困っていました。
ある日、瞑想状態になったときに「無償でやろう」というアイデアが出てきました。
それが二回続きました。「そうしろ」と言われている感じがしました。
「なにそれ、材料費だけでも3,000円近くするのに、そんなことしたら生活できないじゃない…?」
そこで「期間限定のボランティア」としてやることにしました。
けれども返ってきた反応は、「勉強中なんですよね」「モニターでしょ?」でした。
無料にすると、お互いの意識が低くなってしまうのではないかと疑問に思いました。それなりの料金には、払うほうにも、受け取るほうにも、覚悟が必要で意味があるのではないか、と。
そんなとき、サアラさんの本を読んでいたら、急に眠気が襲ってきました。
「大胆に「報酬」という概念をなくしてしまうと、全てのことに対する価値観が自ずと変化するはずです。私がこれを提案するのは、私自身が所属している宇宙の最も進化した世界では、何かに対して報酬を得るという概念がないために、何かを得るとき必ず対価交換をするという考えもありません。
その世界では誰かが何かをするとき、必ず本人の意思で自発的に行います。ですから本当に気持ちが込められていて、受け取る側も心から感謝できます。このように受け取る経験をすると、自然に「私も自分のできることを必要としている人に提供したい」という気持ちになります。
このようなやりとりは、お金やポイントやコインなどを挟まないので、人の心がそのまま伝わりますから、つながりが強くなり、豊かな人の輪が広がります。
『「魂」の本当の目的』p.189~190(サアラ・池川明 大和出版 2018年発刊)

強烈な眠気にあらがえず、しばらく寝て、目が覚めたら
「報酬という概念は幻想である」「何かをしたら対価を得る、そんなことが当たり前なのは地球だけ」「対価などないのが宇宙のスタンダード」という気づき、理解が自分の中にありました。寝ている間にインストールされたというか、腑に落ちたというか…。
つまり私がイヤーコーニングを無償で提供しても、私に必要なものは違う誰かから、必要なときに必ず入ってくるのだから大丈夫なのです。
しかし、それを公に打ち出すことは、かなり勇気がいることです。ここは「報酬を得ること、対価を得ることは当たり前」という社会だからです。
信頼できる友人にそれを打ち明けてみたものの、ほぼ理解されませんでした。私自身が深く消化できてないから、分かるように説明できないし、反発されれば「なるほどそうか」と流されてしまうありさまでした。しかしおかげで、「実のなる木のたとえ話」が出てきたのです。(次の投稿へ)